【ノージャッジ、判断不要、全てOK】を腑に落ちさせる考え方

由似の世界のエンジェルチューター由似です。 エンジェルチューターは天使的な導きの方向性を踏襲しながら、自分が生きたい現実を生きる手助けをしています。

 

「人にも神様にも世界にも、ものごとの善悪を判断することは不可能。
つまりこの世に善悪は存在せず、全て世界はOKである。」

 

ノージャッジ、判断不要、全てOK。
これを私の中で腑に落ちさせることに成功した、私なりの理解の仕方を書き出してみました。
この考え方は知ってるけど納得できない!と思われた方、一度読んでみてください。

※「世界は自分が創造している(もしくは選択している)」という考え方が根底にあります。

 

考え方の大枠は2つです。
1)世界を否定できない(したくない)から、全部OK
2)悪だと判断できないから、全部OK
 


 

1)世界を否定できない(したくない)から、全部OK

Aの一部を否定することは、否定したい一部を存在させたAの在り方を否定することである。Aの在り方を否定することは、Aの存在を否定することである。Aの存在を否定することは、同時に自分の存在と世界を否定することである。
自分も世界も、その存在そのものを否定することはできない(したくない)。つまりAの存在も否定することはできない。だから世界は全てOKである。

 
<Aを否定することが、自分と世界を否定するという考え方の理由>
 

理由1:Aを否定することは、Aを存在させている世界を否定することであり、その世界を存在させているのは自分であるために、世界を否定することは自分を否定することである。
 

理由2:Aを否定することは、Aと関わりを持って否定したくなる経験をするという選択をした自分を否定することである。自分を否定することは、自分を存在させた世界を否定することである。
 

理由3:Aの在り方は、AおよびAに関わるエネルギーが作り出したカタチであり、それは必然である。自分がAと全く同じカタチの中に入れば、Aと同じ思考や心を持った状態になる。すなわちAを否定することは自分を否定することである。
 
 

2)悪だと判断できないから、全部OK

Aが起こした行動の結果が善か悪かは判断できない。
善も悪もないならそれは全てOKと同じ。

 
<善か悪か判断できない例>
 

例1:過去の政治家が大虐殺を行ったことにより、選民意識や大虐殺についての認識が広がり、同様の行為はかなり忌避されるようになったはずである。したがって大虐殺の結果が悪だと断定することはできない。そのためその行為を働いた人物を悪だと判断することもできない。
 

例2:ポケモンGOによる歩きスマホの危険性が取りざたされたが、ポケモンGOのおかげで歩きスマホに対する危険性の認識が広まり、必要な規制が作られる土台となったかもしれない。そのため、歩きスマホによる事故が増えた結果を悪だと断定することはできない。
 

例3:働きアリは、その何パーセントかが常にサボることが分かっている。その集団からサボるアリを抜くと、残ったものの中で同じ程度のサボるアリが出現する。生命の危機管理の一種として、サボるアリを用意する必要がある。このように、Aはある種の危機に陥った時に活躍するするために用意された、特定のメンタルを持つ人材として存在するかもしれない(たとえば傍若無人に振る舞うことを苦にしないことで、生き残る、敵に向かっていけるなど)。人の偏向が全て、あらゆる危機への対策として用意されているのならば、全ての人に対して善悪を判断することはできない。
 

例4:この世に生きている人間をエネルギー的な視点でとらえた場合、様々な偏向をもつ大量の光のようなもの。Aが人間的価値判断で善人でも悪人でも、エネルギー的視点から見ればその違いはただの偏向であり、ただの偏向に善悪を判断することはできない。赤と青とどちらが善であるか判断できないのと同じ。


 

いかがでしょうか?
腑に落ちる材料には足りたら良いなと願っております。
 

 
 

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